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6/30 

なぜ涙が出たのかわかった。ホールデン(主人公)は同級生の「下司野郎」たちを愛しているんだ、つまり人間を。彼等のすることや言うことは自分を傷付けるけれども、愛したくてたまらないんだ。うまく愛せないのがつらいんだ。すごく不器用なんだ…。しかもセクハラを受けるタイプとあっては…(身につまされる点でもある)。いろんな事情が重なって人とうまく距離を取れないというか、誰にでも期待してしまうというか、あらゆる人間を愛し過ぎてしまうんじゃないだろうか…とちょっと思った。

それにしても、いじめで自殺した同級生がいたことは全くなぜか記憶になかった。この間までやってたドラマみたいに(最終回は最後しか見てないんだけれど)、この場合はその場で直接おそらく暴力でいじめられせっぱつまって窓から身を投げて死んだ。そして暴力をふるった子たちは放校処分だけですんだなんて、辞めたくなって当然の学校だった。そして妹のフィービーも髪が変に短かったり、同級生につきとばされたと腕に絆創膏を貼っていたり、旅に出ると言うホールデンについていきたがり学校なんて行かないと言い出すあたり、いじめを受けていると思われる…。

19才の私はどこを読んでたんだ?人間がいて、社会というものが必然的にできあがる、その「社会」が存在する限り、この小説で取り上げられているいくつかの問題は普遍的に存在する。だから50年以上も世界中で読み継がれており、多分これからもずっと読み継がれて行くのだ。サリンジャーがどんな人物か私は知らない。もし意外と、頭の良さを誇示するような嫌味なひとだとしても、生きているのならいつか会ってみたいと思わせられる作家だ。その時「ファンです」と私は言うだろうな…。

6/30

6月になってもあんまり雨降りませんねと書いたところ雨が降ってきた。今年の装画コンペティションに何を描こうか?と思って悩んだところ、自分が最近の小説の大半に興味がないのが分かって、「フラ二ーとゾーイー」はもしかしてマニアックかなもっと分かりやすいもの、ならばいっそあの名作「ライ麦畑でつかまえて」?…と思って再度読み直している。初めて読んだのは19才くらいの時?エピソードのひとつひとつは覚えていない。今読むと主人公は本当にユーモアのセンスのあるやさしい子だと思う。今の日本でお笑い芸人になれば人気ものだ、そしたらもっとしあわせだったと思う…。「すてきなときに限っていつもスーツケースやら何やらにけつまずくんだよ」なんてすごく冷静に自分を分析してて笑ってしまう。「ジャカスカ雨が降っていて」とか、くだけた表現も今でも十分いいのがある。ふと読むのを中止して休むと、悲しい場面もまだないのに何だか涙が出て来るんだ、なんでだろう。

本関係のサイトに書いてあったので改めて意識したのだけど、原題は直訳すると「ライ麦畑のつかまえ手」なのに、「ライ麦畑でつかまえて」と邦題は受け身になっているんだ。

主人公は子どもたちが崖から落ちないようにつかまえる人になりたいと言いながら、自分を”つかまえてほしい”と願っているんだ、と私も無意識に理解しながら読んでいた。今さらながら素晴らしい意訳。

6/23

夏至は22日です。手帳にメモする時に間違ったらしいです。その後ずっとこの日だと思い込んでいた私は日本人じゃないかも。でもキャンドルナイトやったんだからいいよね。父の日がうかばれないけど…。

私は小さい頃今と違ってイベント好きでした。小さな田舎町のこと、たまにしかないお祭りも夜店も大好き。それよりクリスマスや、母の日や父の日にプレゼントをするのが大好きでした。母も父も子どもたちから何かもらおうなんて思ってもいないので、そんなに嬉しそうでもない様子が子どもとしてはちょっぴり淋しかったものです。プレゼントでエピソードをひとつ。母が35才の時に私は「何をあげたらおかあさんは喜ぶんだろう、あんまり派手なお洒落する機会もないし、スカーフとか小物がいいかも」と思って町に一軒しかないデパートに出かけ、販売員のおねえさんに「35才用のスカーフ下さい」と言ったのでした。何せ大人の身に付けるもの、若いおねえさんと母とじゃ違うだろうと思い、「うちの母は35才なんですけど、そういう人はどんなスカーフが似合うんでしょう」って意味合いで訊いたと思うんですきっと。おねえさん(おばさんだったかな)はもちろんその場では笑わず、後で母にこっそり、可愛かったわ〜なんて感じで話したそうです。この言い方は母に相当受けたようで、直接私に向かって何年も繰り返されました。うちの母ってこんななんですよ、ぷりぷり。

元春の出た「僕らの音楽」を見のがしてしまいました。夏至のショックが大きかったからだと思う…。元春の二年前のアルバム「The Sun」に「国のための準備」という曲があって、私にはその曲が年金問題や、その他何もかもを低所得者を中心とした一般庶民に負担を押し付けようとし続け、ゆれる今の日本を表しているように思えます。元春はこの時「ずっと後になって聴いてもおかしいと感じないように作った」と言ってたけれど、こういうことだったのかしら。「新堂本兄弟」に出演した時の会話は、音楽好き以外の人から見た場合、天然(素直)でおもしろい人だと頬笑まれる内容になってて良かった。どこに行っても「果汁100%オレンジジュース」の笑顔がいいです。私もこんな風になりたいです。

6/17

今日は夏至。キャンドルナイト。珍しく忘れなかったのでいま電気を消して書いています。PCが付いていたらあんまり意味ないだろうか?いや、もしこの日を知ってるひとがたまたま外を歩いていてキャンドルのほのかな光だけが見える窓を見つけたら、きっとうちもやろうと思うよね。この日でなくてもいいけどイベントだしね。

宮崎あおいが結婚。なぜ?あんなにかわいいのに、まだ当分はあの清潔な少女らしさを振りまいてほしかったのに。残念だ…でも本人が幸せなら。(でもかなりがっくりきている。)

胃の調子が戻ったのでひさびさにスポーツクラブで「アロマヒーリング」という名のストレッチをしました。この先生が、魔法使い?ってくらい不思議な力を持ってるのよ。どんな力ってよしもとばなな的な力なの。人気者なわけだ。でその後マシンで10分走ったらすごいのよちゃんと汗かいてるの。少々体質改善できそうな予感がします。K先生のストレッチバレエと似てて懐かしかった〜あのきびしさがなつかしい…終わったら一日ほとんど何もできなかったもんな。

えと、最近作品をちっともアップしていませんが描いていないわけではもちろんなく。近いうちに少し追加しますね。

6/13 

6/9と6/1もちょっと編集しました女優さんのとこ。なんで勘違いしてたんだろ〜今度からちゃんと調べて書きますね。

そうそれで、昨日佐野元春さんのトークイベントに行ってきました。並んでいた人びとは同年代、もしくはそれ以上だったので浮かないですんだかな(笑)。若いひとはスタッフって感じのひと位だった。その若いひとも皆もとてもうれしそうに見て、話をきいた。CCRは私も大好きだけど元春も好きなのかな。

憧れの人に「何か質問は?」なんて言われても、とんちんかんなことを言いだしそうだったので何もきけなかった。すかさず的を得た良い質問する人たち、すごいなーって感心した。私なんて会う前から心臓ばくばくだったのに(笑)。ほらいきなりコンサートに行けば皆と同じように感動して涙涙に決まってるでしょ、そういうアーティストだからね。心臓に悪いなあ、ってすこしづつ慣れようと思って行ってみたの。

ちょっと緊張してた感じもするけど元春はとても感じの良いやさしいひとだったよ。私たちは彼の音楽聴いて、大切なものを見失わないように、とかいろいろ考えながら一生懸命成長してきて、けど今日NHKのスタジオで演奏してる元春を見て、意味は違えど成長してきたのは元春も一緒なんだなあ、って、ふと思った。

6/9

今月もなんとなく調子悪いです。

ごめんなさい「帰ってきた時効刑事」でしたね。ウルトラマンみたい。オダギリくんは毎週脚本書いてるわけじゃないんですね。しかも思い込み追加です。酒井若菜によく似てるのでてっきりそう思い込んでいた三日月さんは麻生久美子さんというのですね、どうりで明るい(ゴメン)と思った…。私のなかで気になる女優さんになりました。なんといってもあの裏がえった声がいい。

大人になると、嫌いだけど表に出しちゃいけない事情が色々出て来るけど、「好き」とか「嫌い」にこだわることってすごーく大切な気がします。自分は小さい頃から「ずっと好きでいられるもの」を探していて、「大人になると忘れちゃうこと」がとても嫌だったのです。だからうかつにこれが好き、とか言わないでよく自分の中を見つめるようにしました。だから私は好きなものや好きな人物があまり変わりません。よくよく吟味して「こういう所がいい、だからずっと好きでいられる」というものを見つけるのは力を使いましたが手応えがありました。正しいとは限らないかもしれません、疲れるかもしれません。でも少なくとも自分の心と頭で考えたものです。

人には色々な生き方があって、犯罪でない限り他人には簡単に否定できません。その人が他人を傷付けている、まちがっていると思えてもそれはいつかその人自身に返って来る。他人が裁くものではないんです。

そんな風に嫌いなもの、好きなもの、それにはそれぞれ理由があって、大人になればなる程理論的に説明が付くようになります。これがなぜ好きなのか、なぜ嫌いなのか、またどこがそうなのか。自分の好みを知りそれに沿って生きることが大事。私はこういう生き方をしているので何のどこがどう好きです、だから何をどうします、と言ったことが。選ぶのはどこかの誰かじゃなくて自分自身なのだから。

迷ったら自分がどこから来たのか思い出してみるのもいいかも、ああこれがどう好きでこの道を選んだんだった。あの人のここが好きだったんだ、だから好きになったのはまちがいではない、とか。

6/1

体調が不安定だった5月。

3月に入会したスポーツクラブに先月は1回しか行けなかった。フラのクラス今日は行けると思ったのにやっぱり行けず悔しい。それでもなんとか新宿まで出かけてOAトレーニングをして病院で薬をもらい血液検査して、今日はおしまい。コンペに出せば落ちるしけっこう精神的にまいっていたのかも、私って自覚がないんだ…。どうでもいいけどタトゥーがあるとスポーツクラブに入会できないらしい。私ピアスは片側だけ開けてたけど変なことが度々起こるので最近になって付けるのを止めたら、しばらくしてピタッと止まった。不思議。

夜中「時効警察2」を見たら今日は三日月さんがものすごくかわいかった。とっても変わったはじけ方をしてて、自分を見てるみたいでおもしろかった。分かりづらい?脚本も監督?(目が悪くてよくテロップが見えなかった)もオダギリジョーなのねすごい。知らなかった。

もっと気楽に、考え込まずに色々やってみたらいいんだと思う。大きいコンペにいきなり準備もなく挑むより、中くらいから小さめのコンペから出すほうが、力もつく気がする。六本木の東京ミッドタウンで憧れの佐藤卓さんや天才深沢直人さんたちの「チョコレート展」があって、見たくてうずうずしてるのに体調が思わしくなくてまだ行ってない。遠いのよ。リンク貼れるようになったのでこれからまた知らせたいものはリンクはるようにします。

5/19 

「イムジン河」っていい曲だったんだね。「歌っちゃいけない歌なんて宇宙のどこにもあるはずないんだよ!」っていい台詞だった。昨日見た「パッチギ!」の話。ハチクロの加瀬亮くんが出てるはずなので探したけど分からなかった。後で調べたらグループサウンズのボーカル役だったらしい。かっこいいもんね。

「君に捧げるほろ苦いブルース」もいいけれど、「空に星があるように」もすごくいい曲なの。私一度もリアルタイムで聴いた記憶ないんだけど、今回リマスタリング盤で初めて通して聴いた。60年代の後半に出た曲だから、あの時代を歌っているのか挫折を思わせる内容なのに最初から最後まであったかいやさしさに包まれて、心やすらぐっていうか癒される。この人も「君に捧げるほろ苦いブルース」が自分の曲の中で一番好きらしいのがうれしい。

どんなに良いと思われるものでも押し付けようとすれば誰も好きになってはくれない。人が好ましいと思う、手に入れたいと思うものを作って発表して行くのって大変だ。「目の前のことに全力投球できない人間に夢を語る資格はない」これも良い台詞だテレビドラマだけど。イヤな会社と絵の板挟みにつらくなったら「空に星があるように」でも歌って頑張ろうかな〜と思うこの頃。夢は消えたら嫌だけどさ。

ユニクロのTシャツがあまりに皆イカしているので一枚買ってしまった。今年ユニクロのTシャツコンペで入賞した作品とか(しっかりしろオレ)企業とユニクロのコラボとか。女の子がお母さんと体操着にする服を買いに来ていて、女の子がきちんと自分で選んでいるのが可愛かった。ステキなお母さんだ。

5/10 

ある雨の朝、目が覚めると頭の中で荒木一郎が鳴っていた。雨だからかな、あの声は雨とよく似合う。自分で作詞作曲した「君に捧げるほろ苦いブルース」は30年くらい前に大ヒットした。調べたらけっこういまでも好きな人がいて、廃盤になってるのも多いけどどこでも星4つ半はある。あたしはあの声が本当に好きだった。少し高めの優しい声。半年くらい後、ある人気グループがこれとそっくりな曲を自分達の作曲としてリリースしたときも本人は騒がなかったような気がする、その時は少なくとも。そんな風に一線を画した感じがあたしはいつも好きだ。何か問題が起こったときには言わなきゃソン、的なことを言う人がいる。でも同じレベルに下がるってこともあるんじゃないかな。つまり「下品」ってことだ。そういえば「上品」は「クール」と同じに扱われることがままある。そんな人生の先輩を見てはあたしは自分の価値観に磨きをかけて来たのだろうな。

「君に捧げるほろ苦いブルース」は愛猫が死んだときに作ったとのこと。「君」が死んでしまってとても悲しい、僕ももうすぐ行くよみたいな内容なのだけど、現実の「君」は奥さんでも恋人でもなく猫だったのね…。荒木さんは「この歌で愛猫が聞く人の心の中でずっと生き続けるんじゃないかと思った…」と言った。ロマンチックな人だ。本当に可愛がっていたんだな…。

5/5 

子どもの日。5/3の日記、最近ずっと厭なことを書く自分に嫌気がさして、消そうかと思ったけれどそれもなんだか無責任な気がするのでただ編集した。

まとめると、どんな厭なことをする人でも存在する権利くらいはあって(訴えるに値するかどうかによって違うけど)、憎むべきは悪意や憎しみなど目に見えない悪で、相手の存在や人格を否定とか攻撃などしてはいけない。表現が下手だとか素直になれないとか、自分の想像を超えた何かがあるのかもしれないし、そこでそんなもの知らなくていい。そう思わないとただ厭な思いをして悪感情が湧いて、自分がすり減ってしまう。…と百万回くらいここで自分に言いきかせている。悪意うずまく現代社会は恐い。職場に影響されて精神的に悪い状況になって、良い人間関係が壊れてしまったことがある。私は良い人と良い人間関係を築きたいしいつも健康でいたい。それには絶えず良きものを追い続け、一か所に留まらないことだ…。

昨日は久々にスポーツクラブでバレエのためのワークアウトに参加。まえ習っていたときは「バレエ教室」だったせいか思えば厳しかったけどそれで返ってやる気になった。今は通っていないけど。で、最後に初のゲルマニウム温浴をしたら効いたー…と思う、足も手もぽかぽか。

女子ロッカーにある籐椅子に座って水分を補いつつぼーっと休憩した…。何か思い出すな、そうだエマニエル夫人だ。座ってる人も衣装も全然違うけど。

5/3 

また胃を壊して二日間オレンジジュースと漢方のみで寝ていた。何も食べなくても一日二日は水分さえ取っていれば生きられるというのは本当だと再確認。何度目だろう。いまはうどんとおかゆをちょっと無理して食べている。コンペに出した絵本が戻ってきた。受かるとは思っていなかったけどやっぱりショック。また頑張ろう。

所で昨日派遣会社まで、オフィスソフトの自主トレに行きました。へろへろだったけど予約してあったので。そこで随分と変わった人に会いました。私のなかで変わった人にはいまのところ2種類あって、人に不快感は与えない毛色の変わった人、人に不快感を与える常識のない(人を思いやれない)人。残念ながらその人は後者でした。

昔の派遣社員ていうと、仕事がバリバリできて、立ち居振る舞いもそつがない人が多い…というイメージだったけど、最近は本当に違うんだな…。

しかし見方を変えれば、そういう風になったおかげで私みたいに事務がそう得意な訳でなくとも仕事がもらえるんでしょう。こんな言い方をしては身もふたもないけれど自分にとって役に立つ部分だけを利用しようと思います。

4/20

やっと暖かくなって来ました。テレビで、磁波による地球滅亡の危機を数人の科学者や技術者が救う、といった映画をやってました。ヒラリースワンクってミリオンダラーベイビーやブラックダリアに出てる人だよねきれいだな〜と思いつつ見ておりました。最終的には難を逃れたのですが、映画ですからね。現実には原因は磁波じゃなくて環境破壊だから深刻。くいいるように見ました。エタノールの畑がそんなに必要ならもう化粧品要りません。

肩こりと胃痛でリフレクソロジーに行きました。足のつぼ押されただけで肩のハリが取れた、素敵…。最後にお湯を希望したら、施術者がお湯と水をまぜて飲みやすい温度にして渡してくれました。これ当たり前のようですがさっとできる人なかなかいませんよ。同じチェーンの他店で、施術者は時間ばかり気にして気もそぞろ。水もお湯もセルフだったし。結局5、6分短かったのでその店は行ってなかったんですが、今回の人は短くなかったし。ただ男の客もいるとあまりリラックスできないな。

「働きマン」て、編集者と彼女に関わる人たちの仕事もようが描かれてるんですが、セラピストのおはなしも載ってます。時間どおりきちっと終わるのはサービス業では一番大切とはいえないんじゃないか、と私は思うんです。客も含めてああいう場所で急ぐなんて目的に合ってないし、必要に応じてアドバイスをくれたりすれば5分やそこら超過することもあります。皆が超過すると時間が押して大変かもしれないけど…。表参道の二ールズヤードで昔いい人にやってもらったことがあって、訊けば色々教えてくれて、疲れた私の足を、足なのに「可哀想に…」と言う感じでさすってくれたんです。いまその人は出世して指名料も高いです。ホント、いい人だった…。ただ、今は足裏はなくてボディのみなのです。残念だ〜。

4/14

この間桜吹雪の中をあるきました。向かい風が強くて、息もできないくらい桜の花びらがおしよせてきました。それはそれであまりできない経験かもしれない。私は花になりたい。いろんなものになりたいですが、人間以外のものが良いと思ってしまいます。

先週、本屋で今さら平積みになっていた安野モヨコ先生の「働きマン」を買って読んだら夢中になってしまい、絵本を製作中なんですが、今日3巻目を買いに行くかも。おかざき真里さんの仕事マンガは完全に女の子側に立っているんですがまた違う視点で、仕事する女の子が描かれています。なんか性格が自分と似てるなあって。私こんなにスピーディではありませんが。

部屋の壁には茨木のり子さんの詩の一部「自分の感受性くらい自分で守れ」が書いて貼ってあります。好きな絵で食べてゆきたくとも好きでない絵で食べている人も多いようですが、それでも1週間のうち5日も絵に全く関係ない、正反対の仕事をしに行ってそれだけではなく暇なやつらが考えるつまんない事に対処しなくてはならない自分のほうがどう考えても辛い気がする。例えばこのまま厭なやつらにへこへこして(過去も現在もへこへこしてないからいごこち悪いけど)どんぐりの背比べみたいな仕事内容に一喜一憂して厭なことは全て他人のせいにする奥様連中と遊んでストレス解消…って生活のほうが楽だなと思うときもある。そんな経済的余裕はないけど。過去に逃げたことがある私はどんなに厭なことが押し寄せてももう逃げるわけに行かないんだなー逃げるとあとが何倍も辛い。いつも同じこと言ってるってことは進歩がないんだな。逃げる夢さえも見てはいけません。